上市駅
〜上市駅なくして“地鉄”は語れない〜
昭和6(1931)年8月15日に「上市駅」として誕生。その年の11月7日に路線が延び、駅名が「上市口駅」になりました。やがて昭和18(1943)年11月11日、延伸路線が廃止となって、駅名も再び「上市駅」に。
全国でも珍しいスイッチバックの駅として鉄道ファン注目の駅です。
上市町観光協会 076-472-1515
昭和6(1931)年8月15日に「上市駅」として誕生。その年の11月7日に路線が延び、駅名が「上市口駅」になりました。やがて昭和18(1943)年11月11日、延伸路線が廃止となって、駅名も再び「上市駅」に。
全国でも珍しいスイッチバックの駅として鉄道ファン注目の駅です。
上市川沿岸土地改良区の敷地内にある小さな神社で、水の神様が祀られています。小さなお宮ですが、こうした神社の存在から、治水と利水に苦しみ悩まされ続けてきた上市町の歴史が垣間見えるようです。
県の天然記念物に指定されている「宮川の大けやき」で知られる神社です。 この神社には、「若杉の逆さま杉」という不思議な伝説が残っていて、その伝説にまつわる杉の木もあります。
ずっとむかし、孝徳天皇のころ(645-654)、若狭の国(福井県) のあるりっぱなお家に、一人のお姫様がお生まれになりました。
生まれながらにして白子だったので、大きくなってからは、自ら尼となられ諸国へ修行に出られました。みんなはこの尼となられたお姫様のことを、白いので白比丘尼と呼びました。また、比丘尼は龍神より不老長生の薬をもらって八百歳まで生きながらえたので、八百比丘尼とも呼ばれています。
比丘尼の伝説はいろいろありますが、越中にこられ、栃津の尖山の岩屋にも永く住んでおられて、栃津川や若狭川流域をたく鉢にまわられたといわれています。
ある日、比丘尼はこの若杉の地にこられました。ちょうど、お昼時だったので、大けやきの下に腰をおろして一休みされ、そばの杉の小枝を折って皮のついたまま箸がわりに昼食をおとりになりました。
食事がおわると比丘尼は、杉ばしを地面にさされ、
「この杉ばしは、やがて根がつくであろうが、それが樹になり、いつかは枯れる時が来る。その時こそこの比丘尼の死ぬ時である。」
と、ふしぎなことばを残して立ち去られました。
言われたとおり、まもなく杉ばしからは芽が出てきました。しかし、その杉ばしは地面にさかさまにさしてあったので、木はさかさまに大きくなっていきました。下よりも上が太く枝はみんな下をむいて伸びたのです。そこで だれ言うとなく「逆さ杉」と呼ぶようになりました。
今の若杉という地名はこの「若狭の八百比丘尼杉」から起きたものとも言い、また、一説には、逆杉を訛ったものだともいわれています。
(上市町ホームページより抜粋)
古くから交通の要所として栄えた三日市に建つ神社で、境内にはりっぱなけやきの御神木があります。
上市川は、しばしば氾濫を繰り返していた上市川。あるとき水難守護の神様を勧請してお祀りすればと考えたところ、金沢在住の加賀藩士九里(くのり)覚右衛門という人から「拙者に先代より威徳赫々として安置せし天満宮の尊像あり。一社創るとあらばこれを祀るべし」とあり、弘化元年(1844)この地に勧請されたものです。以前は境内に土俵があって、相撲が盛んだった上市町の歴史を伝えていました。
昔の花街の雰囲気をとどめるエリアで、郷愁と旅愁を誘います。花街の名残として、天満宮の石柱に「合名会社上市白龍廓」を見出すことができます。
「たまよけ地蔵」と呼ばれるお地蔵様や古い石仏群、昭和を想い出させるノスタルジックな街並み、町屋を活かした和風喫茶、など、散歩途中に癒しスポットが散らばっていて、のんびり散歩にうってつけです。
「市のまち、上市」を象徴する神社で、その由緒は昔話として今も語り継がれています。
6月の祭礼の時には、多くの屋台が往来を彩り、大変賑わいます。
むかし、むかしのことです。ある日、上市の商人、次郎右衛門は、三日市の市場へ行った帰り道、夕やみの中で、たいそう気品の高いお姫様に出会いました。お姫様は手に梅の花を持ち、そのすがたはいかにもやさしくきれいでした。次郎右衛門は、思わず立ちどまり、しばらくぼんやりしてしまいました。
すると、そのお姫様は、次郎右衛門に、
「ここの上の方にもあらたに市場が開け、はんじょうしているそうですが、そこへ行きたいのです。わたしは市姫と申します。 どうぞわたしを連れて行ってください。」と声をかけられました。
「いいですとも、お連れいたしましょう。でも道が悪いですから、そこまでわたしがおぶってさしあげましょう。」 と、次郎右衛門は答えて、お姫様をせおってみますと、案外軽いように思われました。
やがて行き着きますと、お姫様は、
「ここにわたしをおろしてください。」と、おっしゃいました。そこで、次郎右衛門はせおっていたお姫様を下におろしました。
すると、なんとそれは、お姫様ではなくて大きな石でした。夜が明けて、さっそく次郎右衛門は、集まってきた人々にこの話をしますと、
「そのかたはきっと神様にちがいない。お社を建てておまつり しましょう。」
と、相談がまとまりました。そこで、三日市の方向である西向きにお社を建ててまつり、そばに梅の木を植え「市姫社」と名づけました。
このようにして、市姫の神様は三日市から上市にうつられ、それいらい、両方の市場をお守りくださることになったのだそうです。
(上市町ホームページより抜粋)
上市町のシンボルである霊峰剱岳のビュースポット
パワースポットやヒーリングスポットが随所に点在する上市町にあって、知る人ぞ知る隠れたパワースポット、それが「三杉公園」です。
伝承にもあるように天狗を祀る神社があったり、薬業関連の事業さんが建てられた薬師堂があったり、乃木希典の揮毫による「忠魂碑」の題字があったりと見どころが盛りだくさん。
昭和50年代まで残っていた「三本杉」の根が一株、展示されています。
上市高等学校の横に、日露戦争の勝利を記念した神武天皇の銅像や、戦没者の忠魂碑などのある、三杉公園があります。その三杉公園のまん中に、今では、なくなってしまいましたが、大きな三本の杉の木がありました。なんともりっぱな杉の木で、おとなが四人でようやくかかえられるほどの太いみきが、空高くそびえていました。
「じまんするなよ 三本杉ゃ近い 鼻の高い人 見てござる」
と、むかしから子どものころに、よく言いはやしたもので、三本杉には天狗が住んでいるといわれていました。
よく、子どものころ親に、いたずらしたときなど、
「三本杉の天狗が連れに来るぞ」
と、言われて、ほんとうにおそろしかったものです。
むかし、あるきこりが、三本杉の大きな枝を一本切ってきて、家で仕事をしていると、なんとその夜、その家から火が出て、みるみるうちに上市じゅうが火の海となり、あっというまに灰になってしまいました。その時から、この三本杉を、神木(神様の木)としておまつりすることになったと言い伝えられています。
この杉は、いつごろからあったかよくわかりませんが、もと、眼目の杉並木の一部であったと言われています。四百年ほど前、上杉謙信が稲村城を攻めたとき、立山寺の伽藍とともに杉並木も焼かれてしまい、この三本だけが残ったのだそうです。
また、眼目の参道の入口が今の森尻だったので、森の尻の意味で森尻村と名づけられました。もちろん、そのころの上市川は、森尻の方へは流れていませんでした。
(上市町ホームページより抜粋)
町の文化財に指定されている「神明町山車」「神明神社八角神輿」が境内に保存されています。また、大岩への道を示す石の大岩道標も見られます。
度々河川の氾濫にあってきましたが、江戸時代の天明期(1781~1789)の氾濫の被害が甚大で、現在の場所に遷社(社殿は明治5年再建)。
南町地蔵尊は、地域の人たちの信仰を集めるお地蔵様です。このお堂の中には、木曽義仲が腰かけたと伝わる石も祀られています。
また、この界隈は、昔駅があった場所で、昭和6(1931)年11月7日に、富山電気鉄道(現在の富山地方鉄道の前身)の駅が出来ました(昭和18(1943)年11月11日廃止)。
明治43年に上市尋常高等小学校がありました。
昭和のはじめ、町に釈泉寺伝右エ門という人の家があって、そこにたいへん信心深いおばあさんがいました。ある夜のこと、おばあさんがねていますと、ゆめの中に弘法大師さまがあらわれて、
「これより西にある南町の地蔵堂に、つえをおいていきます。このつえはわたしが布教のため、全国を歩いたときにずっと使っていたものです。だれでも願いごとがあれば、このつえをおがみなさい。」
とおっしゃいました。
おばあさんは、ふしぎなゆめを見たものだと思い、さっそく地蔵堂にかけつけたところ、なんと、お堂の前につえがそなえられているではありませんか。
この話が人々に知れわたり、信者がたいへんふえたということです。
また、地蔵堂の中には、お地蔵様とならんで、赤い石がまつってあります。今から八百年ほど前、旭将軍といわれた木曽義仲公が、平家を討つため(くりから合戦)にここを通られたと言われています。その時義仲公がこしをかけて休まれたのが、この赤い石だと言い伝えられ、この石においのりをすれば、おこりが落ちると信じられています。
(上市町ホームページより抜粋)
室町時代の大永年間(1521~1527)建立とも、正嘉元年(1257)開基の専証寺が加賀から移ってきて松尾山常福寺と改めたとも伝わる、上市町を代表する古刹の一つ。
「この頃この地は松尾野と称し、交通の便が良く、毎月市場が開かれ、栄えた。そのためその地を上市というようになった」という寺伝もあり、境内の大銀杏とともに上市の歴史を見続けてきたお寺です。
江戸時代の天明期(1781~1789)に起きた河川の氾濫で、現在の場所に遷社(社殿は明治4年再建)。社号の額は加賀前田家の元藩主前田斉泰公の自筆によるものです。
熊野神社前において毎月三回市が開かれ、次第に賑やかになり、熊野神社へ詣でる人も増え、地域でもっとも盛隆したと伝わり、「市のまち、上市」の歴史を伝える神社です。
1階にある食品スーパー「ふれあい元気市場つるぎ」には、上市町の特産品や、地元で採れた新鮮な野菜が並んでいます。上市町の味覚をお土産にいかがですか?
2階にある「交流サロン amie」は誰でも気軽に立ち寄れるお店。店内では、コーヒー、紅茶、軽食が食べることができます。また販売コーナーには、手作りのケーキ、 クッキー、昔懐かしい駄菓子等が並んでいます。